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こんな時だからこその公案工夫を

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新型コロナウイルス感染に関する非常事態宣言の中、行動が制限され思うように活動できませんが、逆に考えると比較的時間にゆとりのある生活ができるようになりました。

3月末までは首都圏およびその周辺で、毎月2回から3回摂心会や参禅会が開催されていました。

多い時には毎週末何らかの座禅関連の行事が開催されていました。

そうした会に参加させていただき、参禅できることは禅の修行をする者にとって非常に有難いことです。

しかしこの2ヶ月そうした機会がなくなり、主に自宅での一日一炷香が活動の中心になっています。

こんな中普段なかなか時間を割けない工夫を今だからこそやることについて話題を提供したいと思います。

 

私が座禅を始めた昭和60年頃は、なかなかうんちくのある示唆に富んだお話をして下さる大ベテランが沢山おられて、懇親会や例会の後にいろいろお話を聞かせて下さいました。

その中から2点紹介いたします。

 

まずは一度見た則の見直しをじっくりやることです。

普段からそうあるべきですが、時間に余裕がある時には極めて有意義なこと思われます。

 

耕雲庵老大師の著書の中に、白隠禅師が30年間ある則を見誤っていたと述懐しているくだりがあります。

その違いが理解できないくらい高く、深いレベルと思われますが、500年間出と言われる方が反省されるお姿に触れると、禅の深さに改めて感じ入ります。

 

耕雲庵老大師も時々ご自身が後に気づいた公案の見誤りを訂正されていることがあります。

15年間すっきりしなかったことが合点がいったというような表現をされています。

何度も繰り返し工夫し直すことの意味を深く感じます。

 

磨甎庵老師が晩年、「日面佛、月面佛」や「麻三斤」の則を再度工夫され、まさにその神髄に触れた際の述懐は、御提唱で聞いたり、「磨甎」の本の中で拝読するとその凄まじさに我々も感動を覚えます。

 

葆光庵老師も御提唱や著書の中で「この則の奥深さに再度気付かされた。」とおっしゃることが何度もありました。

 

我々が室内で公案を許されたとしても、その透過のレベルにはかなり高低があります。

「この則をしっかり味わい直すように。」「この則はあとあと深い味わいになるぞ。」と老師に言われて後日ゆっくり味わい直そうと思っていても、なかなかできずに目の前の公案のみに夢中になってしまっています。

時には「この著語が見えるか?しっかり調べておくように。」と指示されても、なかなか調べ直し味わい直す機会を逸してしまいがちです。

 

時には老師御自身が「最初はこれがどういうことか私も見えなかった。」「私も何度行っても全然見えなかった。」と述懐されることがあります。

それ程200則の公案の一つ一つの重みはすごいものがあります。

おそらく何度見直しても見損ねていた深い味わいに気づかされるはずです。

 

祖師方や老師方のレベルには及ぶべくもありませんが、許された則を見直すことは極めて有意義なことと思われます。

その際に英文瓦筅集を活用すると公案の内容が良くわかることがあります。

英文ですと主語と述語が明示されますのではっきりと筋が見えるようになります。

私は英文瓦筅集を見るまで公案の中の主語を全く取り違えていたことが何度もありました。

よくまあこんなんで許されたものだと自分にあきれるような発見があります。

耕雲庵老大師が書かれた提唱録も改めて読み直すと、当初わからなかったことがすっきりすることが多いです。

 

2つ目は、今見ている則の前後五則を常に工夫しておくことです。

摂心会や参禅会の行事が続くと、目の前の公案だけにしか注意を払えず、大局的に見る目がなくなりやすいものです。

「これは前の則の類則じゃ。何ぼやぼやしてるんじゃ。」と怒鳴られても、前の則との関連に気配りなどできないこともあります。

座禅を始めて間もない頃、新潟支部からいらした大先輩から指導されたことですが、如々庵老師から今見ている則の前後五則を常に工夫しておくに指導されているとおっしゃっていました。

普段からそうした公案の工夫をしていると、公案を覚えていないので参禅できないということがなくなるはずです。

公案を覚えていないので参禅をパスするのは非常にもったいないことです。

「一回の参禅でも無駄にしてはいけない。」と葆光庵老師が常々おっしゃっています。

肝に銘じるべきです。

 

鎮西道場で実際にあった話として伺ったことがあります。

摂心会の円了懇親会でしこたま飲んで爆睡していた円了日翌朝に、雲龍庵老師が板木を鳴らしてその後総参になったそうです。

「最後の参禅で通ったのでまだ新しい公案を見ていない。」と慌てて瓦筅集を見始めた人が何人かいたそうです。

常に先の数則の公案に対する工夫をしておくことが大切です。

 

葆光庵老師が茨城支部長だった頃、参禅を2回連続でパスすると引っ張り出されたものです。

「若いうちは参禅の2回連続パスは許さん。」と言って戒められました。

また、参禅で自分の番が来てパスした後、集中が切れたような静座をしていると「チンと鳴るまで工夫を緩めるな。」とお叱りを受けました。

 

許された則を折に触れ見直すこと、今見ている則の前後5則を常に工夫することは実に大切な修行に取り組む姿勢です。

自分が新到者の指導をする立場になって改めて、先輩方から受けた指導の有難さを身に染みて感じています。

親鸞上人は「教行信証」化身土巻の中で「さきに生ぜんものは、のちをみちびき、のちに生ぜんものは、さきをとぶらひ、連続無窮にしてねがはくは休止せざらしめんと欲す。」と言っています。

「仏祖の慧命を永遠に進展せしめる。」という人間禅の高い理想実現の手始めに、先輩方の貴重なアドバイスを後につないで、そのご恩に報いるよう心したいと思います。

  仲野嶢山(房総支部)

posted by 全国で禅の修行(座禅会)やってます | 14:39 | 房総支部 | comments(0) | - |
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